日々、自分の思ったことを書こうと始めたブログですが、今日改めて読み返していましたら、
「エッセイを書いてるみたい」
と、自分はエッセイを書いていたんだと、気づきました。
エッセイを書こうと決めて始めたわけではありませんが、その時その時に綴っていたことが、思わぬエッセイになっていたのかなぁと思います。
自分の感情を大切に思うことが一番大事なことだと思いますが、言葉の表現の仕方でその人があらわれると思います。
また、子どもの頃の思い出も書いていますが、その当時の記憶と何年もたってから気がつく感情に新たな発見があって、自分を見つめるきっかけになったりします。
思ったことを書きたい衝動に駆られて、書いていたことが思わぬエッセイになっていて、それから「エッセイ」を書いていくことに舵をきる。そんなことがあっても、面白いのかなと思いました。
エッセイの定義も人それぞれだと思いますが、まずはたくさん文章を書くことで、文章の上達にもつながるのかなと思います。
言葉は、顔をあわせて話をすれば分かりえるという時代はもう終わってしまったように思います。
これまでのことを思い返すと、相手の目をみて話をしても、相手はわたしと違うことを考えているのかなと思う時がありますね。
やっぱり心が通じていないとうまく進まないこともあると思います。
心が通じている言葉は、美しいパールのように純粋であったり、真実であったりします。
その一瞬一瞬の言葉が、「美しいパールのネックレス」のように、つながっていくように思いました。