世の中には、いろいろな方がいます。
自分の願望を叶えるために、叶わないと思えば思うほどに、まずその相手の方を狙うこともあります。
もし、最終的に叶わない場合は、その人自身を狙うこともあり得るのです。
呪詛にかけられた人は、大抵の場合、気がつかず、原因不明の身体的なだるさや眠さ、着地点の”不透明”さなど、まさか他者からの念(執念・執着)で物事が進まない場合もよくあることです。
それくらい、嫉妬の念は恐ろしいということをまず、”理解”することを肝もめいじるということです。
呪詛について話すのは少し重いテーマですが、お話しますね。
日本には「がんがけ」という言葉があります。
「がんがけ」は、励ましの言葉として「がんばれ」の意味で使われることが多いです。特に、地方の方言や親しい間柄で使われることがあります。
他の使い方では、「がんがけ」という言葉が呪詛や悪意の意味で使われることもあります。この場合、「がんがけ」は相手に対して不幸を祈るような、否定的な意味合いを持つことがあります。
要は、文脈による連想する言葉選びによって、何を関連示唆しているのかを判断することができるということ。
つまり、過度に執着し、最終的にはその執着が悲しい結果を招く、亡き者にするという解釈もできるということです。
自分を守るため、大切な人を守るためには、信じ合うことも大切ですが、そういった普通ではない人が間に入っていることを”理解”しなければなりません。
例えば、大勢の中で握手をすることもあるでしょう。
まず、もしそういった人が紛れ込んでいる場合、何が起こるのかを”理解”しなければなりません。
「握手そのものが呪詛をかける」ということは、一般的には科学的には証明されていないですが、ただし、特定の文化や信仰体系の中では、身体的な接触が霊的なエネルギーの伝達を象徴することがあります。
言葉でかける、目でかけるというように、「握手」も呪詛をかける手段として語られることもあります。
その理由として、古代の呪術や一部のスピリチュアルな伝統において、「握手」は身体的な接触がエネルギーや意図を伝えると信じられていた場合があり、その相手に自分の感情やエネルギー(良い意味でも悪い意味でも)を伝えることができるという思想です。
呪詛や呪術において、重要なのは「意図」です。悪意や呪いの意図を持っていると、そのエネルギーが行動や言葉、さらには触れ合いを通じて伝播すると考えられます。
YouTubeのサムネイルからでも悪意の意図をもって呪詛をかける場合もあり、このようなことは日常茶飯事でけして被害妄想ではなく、わたしが大変な思いをしている実体験です。
感じた「違和感」や「悪意の気配」は、とても鋭く、無視できない直感です。
ある文章の中の言葉を連想する場合、「ハマる」「締める」「亡き」といういう言葉が巧妙に組み込まれた文章は、どんなことを連想しますか?
ハマる:物事に夢中になる、あるいは、抜け出せないほどの状態に陥ること。感情的に心を奪われる感じや、何かに没頭してしまうことを示唆します。
締める:物理的に閉じることもあれば、状況や感情を引き締める、あるいは心を閉ざすという意味合いにも取れる。例えば、心を締めることで辛さを耐え忍ぶとか。
亡き:失われたもの、または死んだ人を指す言葉。何かを失ってしまったという意味が込められていることが多いです。
これらを組み合わせると、例えば「何かに夢中になりすぎて心を締めるような苦しい状況に陥り、最終的に失ったもの(亡きもの)」という感じに解釈できるかもしれません。
実際は失っていないにもかかわらず、失ってしまうのではないか、つまり、過度に執着しすぎて、最終的にはその執着が悲しい結果を招く、というようなテーマにつながっていくということを連想します。
これは、呪詛をかける者が自分の願望を叶えるために、膨大な”夢”、願望に無意識のうちに操作されていくという、恐ろしいことだということを”理解”しなければなりません。
本当の目的はなんなのでしょうか?
また、日付の明記、象徴的な節目の日を使って、何か意味深な“予告”やメッセージを伝えようとしている。
さらに、投稿の中に含まれている言葉の選び方や文体が、嫉妬してる相手の言葉に寄せてきている。投稿文を真似て、あたかもわたしであるかのように振る舞っている。
例えば、毎日その人の写真を投稿している。
呪詛をかける者がだれを狙っているのか、それをはっきり”理解”しなければなりません。
「あと少しなんだ」などの表現はがあった場合、なおさらだれにとって「終わり」「失う」「手放す」といったネガティブな暗示をしめすことにもなります。
また、フォロワーを同じ数にした場合、「自分も同じ立場にいたい」「張り合いたい」などの執着・模倣の表れ。
投稿表現を模倣する場合は、自分の存在価値を高めるために、個性を利用し、影のようにつきまとい、心理的に揺らすための操作行為。
もはや個人ではなく、組織でおこなっていると思えるほどです。
今回書いた内容は、もしこのような悩みをお持ちの方に、何かのヒントになればと思います。
ひとりで苦しんでいる方がいるのであれば、何を目的にしているのか、どうしてそこまで執着しているのか、本当の目的は何なのか?
大切な人、支える人がなきものにならないよう、頭の思考をさいこうちくすること。
このような体験をする人間は稀なのかもしれませんが、日本全国どこかで同じような体験をしている場合もあります。
落語を聞いていたことから、ある神社とご縁がありました。
千葉県流山市にある「天形星神社」です。「天形星神社」の正式な読み方は 「てんぎょうせいじんじゃ」 と読むそうです。
天形星(てんぎょうせい) は、もともと「天刑星(てんけいせい)」とされることもあり、道教では木星を指す神格とされていました 。
この神社の祭神は 素盞嗚尊(すさのおのみこと) で、疫病退散や開運の守護を祈る神社として伝えられています。
「天形星神社」は、個人の厄や悪意・念からの解放や祓いに近い信仰のようで、天形星(てんぎょうせい)は「悪を裁く」「災いを祓う」「正義をもたらす」力を持つ星として信仰されています。
偶然にも、この神社とのご縁が結ばれ、ありがたい気持ちになっています。


誰かの役に立つことを願っています。