※この文章は、筆者自身の体験と心の整理として記したものです。特定の個人・団体・思想・宗教などを非難または支持する意図は一切ありません。
体験の性質上、霊的・象徴的な表現を含みますが、これは筆者の個人的な感覚や解釈に基づいたものであり、普遍的な真実や他者への影響を示すものではありません。感受性の高い方は、ご自身のタイミングで無理のない範囲でお読みください。
ある人が、最期のときに「おはぎを持ってきてほしい」と何度も言いました。それも一度ではなく、「三度」繰り返し頼んできたのです。
ただの願いごととは思えず、その言葉にはどこか、焦りや未解決の何かが込められているように感じました。
その人は、長きにわたってわたしや家族のまわりに影響を与えていた存在でした。意図的だったか無意識だったかは、もはや本人にしかわかりません。けれどわたしは、幼いころからその存在に対して、どこか鋭く勘づいていました。
山伏のような風貌、大きな体、異様に長い腕。
祖母の家の玄関にあった靴べらに、その男が編み込んだ紐がつけられていたのを思い出します。
その編み方は、普通の紐ではなく、まるで何かを「縛る」意図が感じられるような、強く密な編み目でした。その紐から感じた気配はいまも記憶に残っています。
また、五円玉を束ね、漁師が使うような太い紐で通していたこともありました。わたしにはそれが儀式的なものなのか、象徴なのか、正確にはわかりません。
ただ、幼心に「関わってはいけないもの」として直感的に距離を置いていたことだけは、今でもはっきりと覚えています。
ある日、祖母の家でまどろんでいるとき、耳元で「力を貸すぞ」という声がしました。でも私は目を開けませんでした。力という言葉が何か違う感覚を覚え、目を開けることができませんでした。
そして自宅に戻ると、窓を軽くたたく音がしました。誰かが訪ねてきたのかと思いましたが、その気配は人ではなく、目を開けずとも感じるほどに、強く、美しく、どこか優しいものでした。
それは、わたしの安否をそっと見守るような存在のように感じられました。
あのとき、目を開けていたら何が起きたかはわかりません。けれど、その後もわたしはたびたび命の危機に直面しながらも、生き延びてきました。
その中には、目に見えない「守り」のような、大きな存在を感じています。
これはスピリチュアルな話としてではなく、自分の感覚の話です。
ある人物が最期のときに、「何かを清めたい」「手放したい」という思いから、象徴的なもの(たとえばおはぎや、三度という回数)を用いたとしても、それは本人なりの和解や鎮魂の試みだったのかもしれません。
ただ、その動機のすべてが善意とは限らない。赦しを乞うふりをしながら、心のどこかで責任を逃れようとしていたのかもしれません。
そしてもし、それが他者に“念の行き場”を転嫁しようとするものだったとしたら、それは本当の意味での解放にはならないと私は思います。
「おはぎ」「三回」「五円玉」「編み紐」
すべてが一つの願いであり、象徴であったとしても、その意味は、受け取る側がどう感じたかによって変わります。
私は、許しを与えるとか、断罪する立場ではありません。ただ、いま生きていること。
そして守られてきたと感じることに、静かに感謝を覚えています。
今はただ、過去を過去として整理し、誰にも呪いや重荷が残らないよう、思い出を言葉にして送り返す。
それが、私にできる一番安全で、穏やかな祈り方なのだと信じています。
『赤い月ただ静かに思い出すこと』
ひとは 見えない 手に守られて 生まれてくる
はじまりの時から やわらかく結ばれた いのちの糸が ふるえるたびに 遠い記憶が 呼び返される
誰かの願いが あなたの歩みに光を置き 誰かの嘆きが いまの静けさを編んでいる
ゆるしは 誰のために いのりは どこへ届くのか
けれど 問い続けることが すでに 祈りなのだと 風がそっと 教えていく
心の奥で ほどけぬまま残るものを ただ抱えていてもいい
憎しみのあとに 眠っていた やさしさのかけらを 今 そっと 差し出せるなら
それが あなたの祈り
だれのものでもない あなただけの 光の言葉